自然をテーマにしたアクティビティで賑わう埼玉県秩父郡長瀞町。
そんな埼玉のアクティブスポット長瀞に天守閣の廃墟が存在する。
草木を掻き分け獣道を渡り辿り着いた「天神山城」のレポートです。
姫路城、松本城、熊本城、犬山城、二条城…メジャー所な日本の城は、行ったことは無いとしても名前くらい知っているが、恐らく数得る程度しか記憶にない。
しかし、かつての日本には大小含め約2万5千もの城が存在していたそうだ。
確かに地方に行ったりすると、“〇〇城跡コチラ”みたいな案内を稀に目にする事があるが、まぁまぁ興味をそそられないのは個人的な問題なのだろう。
そんな歴史ブームに乗れていない自分ではあるが、我が出身地の埼玉に「天神山城」なる城の廃墟があると耳にして、秩父郡長瀞へとやってきたのだ。
「天神山城」跡地へ
長瀞と言えば、埼玉県きってのレジャースポットである。
夏場であれば、キャンプやバーベキューの為に家族連れや若者達が続々と此処へやってくるのだ。
Googleマップによれば、天神山城跡地はまさにBBQの聖地にあたる荒川沿いの山の上に構えている。
目印となるのは此方の白鳥神社。
航空写真で確認してみると、神社の裏手側から鬱蒼と茂った森のような山道を抜けた先に天守閣っぽいものが確かにあるのだが、目視ではどうやっても確認できない。
有るのか無いのか分からない状況ではあるが、神社敷地内脇に山道があったので登って行こう。
獣道を抜けて
一番の不安要素だった入口が案外すぐに見つかったは良かったのだが、その道筋は山道というよりは獣道と言った方がしっくりくる感じだ。
序盤はある程度“道”になっていたが、所々倒木で塞がれ、徐々に道幅も狭くなっていく。
しかし、よく目を凝らしていれば確かに道っぽいものはあるので、それに沿って山を登って行くと辿り着くのだが…それ気付いたのは下山の時だった。
▲迷わないように先駆者が着けてくれた目印もある
自分は登っている途中で道を見失ってしまい、googoleマップだけを頼りに、「出来るだけ直線距離で山を登って行こう!」という間違った思考が頭を巡っていた。
その為、手足を駆使しないと登れない位の勾配の激しい斜面を登り、切り立った岩をクライミングして何とか舗装されていた感じがする平地へと辿り着いたのだった。
いつもは疎ましく思える投棄物(ゴミ)も、人が居た気配を感じられて一安心だ。
半壊した厠を通り越し、錆びついた鉄の橋を渡る。


更にその先にあった階段を登る。
予想していた到着時間を大幅に越して、なんとか天神山城の天守閣廃墟を見つけることができたのだった。
歴史と成り立ち
先にネタバレという程でもないが、只今到着した「天神山城」について(Wikipediaを使って)少し解説を挟んでおきたい。
主な築城年は1540年頃で、藤田重利(藤田廉邦)なる人物によって建てられたのが始まりだそうだ。
築城から十数年たった後の1560年に北条氏に攻め落とされ、1564年に北条氏が入城するも、1569年には同じ埼玉にある鉢形城に移城を移す。
主人なき天神山城はその後も使われ続けたそうだが、1590年の鉢形城開城と共に此方も開城したのだそうだ。
およそ五十年の歴史で幕を閉じた天神山城であるが、再び陽の目を浴びる事となる。
それは約四百年後の1970年。この天神山城跡地を観光地にすべく築城されたのが、先程の“模擬”天守なのだ。
しかし、採算合わずに倒産。(完成してから運営もしていたそうだ)
鉄筋とコンクリートで造られた模擬天守は、手入れもされず放置されたのだが、RC造りの頑丈さ故に割と外観は倒壊しないで廃墟と化しているのだ。
因みに“模擬天守”とは、元々天守閣が存在しなかった、もしくはあったのか分からない城跡に造られるものなのだそう。
つまりは、この天守閣廃墟は天神山城跡地とは縁も所縁もないわけだ。
天神山城内部へ
なんとも稀有な運命を辿ってしまった天神山城跡地の模擬天守閣なのだが、中身は一体どうなっているのだろうか。
既に開けっ放しにされていた、頑丈そうな扉から中へ入る。
場内に足を踏み入れるや否や、侵入者を阻むが如く床は崩落している。
▲穴から覗くのは天守台の中
辿り着くまでの獣道に比べれば、大した障害に感じないまでも、足元には十分気をつけていきたいところだ。
狭い城内ではあるが、所々に放置されているアイテムは展示資料として使われていたのだろうか。


ココを訪れた先人のブログから参照するに、営業していた当時はこのフロアでお土産を売っていたそうだ。
▲恐らくディスプレイ用ガラスケースの残骸
見渡す限りでは、目ぼしい物は特に見つからない質素な一階だが、左右の壁際は思いっきり崩壊している。


▲左右にあった小部屋/どちらも家庭用の照明が垂れ下がっている
上部の瓦屋根が吹き飛んでしまった為、雨晒しになった木材が腐ってしまったようだ。
コンクリの天守台
本来天守閣と言うものは、天守台という石垣の上に作られるのだが、この天神山城天守閣に関しては石垣ではなく、無機質なコンクリートが剥き出しの状態なのだ。
それがより一層この模擬天守をショボく感じさせる。
▲写真の下部が天守台
入口の隣に天守台内部へと続く扉が用意されているので中へ入ってみよう。
屈まなければ動けない程狭い天守台内部。
木材と鉄骨が交差していて、とても動きづらい。


所々へし折れていたりもするが、よく見てみると木材の柱は均等に設置されているように見える。
後に知ったことだが、天守台内部は天守閣を支える為に、このような配置で支持柱を立ててバランスをとっているそうだ。(天神山城の場合は、殆ど鉄骨で支えている形だけど)
だとしても偽物っぽさは拭えないが、意外と勉強になる事もあるものだ。
因みに、入ってすぐの所にプレハブで囲まれた小部屋があった。
倉庫的な使われ方でもしていたのだろうか?
二階と屋根裏
語る程スケールは大きくない天神山城の模擬天守閣廃墟であるが、残るのは二階のみとなってしまった。
若干急な階段を登って二階へ。
まず最初に思った感想は「何も無い!」
一般家庭にありそうなアルミドアから外に出て、これまた一般家庭にありそうなベランダをグルッと回ってみても何もない。(景色も良くない)
かつては展望施設として役割が振られていたそうだが、周辺は緑が生い茂っているので視界は塞がれている。
辛うじて残っていた襖も、下側にキャスターが付いていて、なんだか残念な気分だ。


ガランとしたフロアの端に、隠す気はサラサラ無いようなX字の鉄骨が設置されている。
その真上の天井に、穴が空いていたので除いてみた。
木材の枠組みは程々で、無数の鉄骨で基礎が作られていた。
なるほど、これなら倒壊する心配は当分なさそうだ。
ハリボテの城廃墟「天神山城」
今回タイトルには、模造品という意味合いで"ハリボテ"と付けたのだが、実際は鉄骨でガチガチに固められたサイボーグのような模擬天守閣だった。
天守閣とは城の象徴として建てられるものなのだそうだが、天神山城の天守閣は人目に着く事無く、今もひっそりと第二(第三?)の人生を過ごしている。
実は今回、この廃墟にいる間に出会った人物が二人いる。
一人目の方は、この模擬天守閣廃墟を目指してこた人で、一緒に写真を撮ったり話したりしながら過ごしていた。
もう一人はハイカーの方で、自分と違ってガチの登山道具を揃えてきた方だった。
あまりのフル装備具合に、「え、コレ見にきたんですか?」みたいな感じの質問をしてみたら、「そんなわけないよ!」と言わんばかりの返答が返ってきた。
聞けばこの先に、天神山城の(本物の)遺構が残っているそうで、それを見に行く道中だったそうだ。
少し会話した後に「この建物は観光用で建てられたやつだからね」と言い残し、模擬天守には目も触れず先に進んで行ってしまった。
城マニアにも見放されてしまう、この模擬天守閣の存在意義とは何なのだろうか。
ー国破れて山河在り
城春にして草木深しー
経営の見通しがつかず散った儚い夢と、手入れをされず残された天守閣は辿りつくのが困難な程に草木に侵食されている。
登りではひたすら苦労した獣道だったが、なぜか杜甫の春望の冒頭が過ぎる下り道だった。