自由研究|不思議発見体験レポート

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廃墟で学ぶラブホテルの歴史「モテル北陸」/石川県加賀

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モテル北陸の正面玄関

石川県加賀市の国道8号線沿いに、ドライバーとファミリー層に向けて建設されたモーテルの廃墟「モテル北陸」がある。

パッと見は何の変哲もないようなモーテルの廃墟なのだが、調べていくと日本に点在するラブホテルのルーツが見えてきた。

金沢を巡るTHE観光の為に訪れた石川県だったが、連休中の人の混雑に少し嫌気がさしてしまい、ならば!と訪れたのが今回レポートする「モテル北陸」だった。

下調べとして画像を検索してみると、何処にでもありそうなワンルームワンガレージ式ホテル廃墟が出てくるばかり。

実はこういった廃墟は以前に訪れた事があったので、見応えに満足できるのか?という不安があり少々足取りは重かった。

だが、この「モテル北陸」よーく調べてみると、なんと日本中に点在するラブホテルの礎を作ったとされる、中々に興味深い廃墟物件だったのである。

アクセス

金沢から出発して、加賀市内より国道8号線をグングン進んで行くと、小高い丘のような林が現れた。

地図によると、どうもこの中に目的地があるようだ。

近辺に車を止めて、周辺をぐるっと回ってみるも人の通れそうな道が見つからない。

仕方がないので、辛うじて通れそうな場所を見つけて小高い獣道を進んで行く。

モテル北陸に続く獣道

途中にはお馴染みの不法投棄物もチラホラ見受けられるので、大抵はこの道から登るので正解の様子。

獣道の途中で見つけた不法投棄物

植物の無法地帯と化した岡を、草木を搔きわけながら進む事数分、やっとの事でモテル北陸の施設っぽい物が見えてきた。

登った先で見つけた施設の一部

「モテル北陸」とは?

そもそも発祥の地アメリカで言うモーテルとは、ビジネスホテル的な使われ方をする事が多いそうだ。

確かに洋画の中では、カントリーなロードサイドでギラついたネオン看板のモーテルにて旅人が一休みする場面は良く目にするような気がする。

しかし、モーテル式に限らずとも日本のロードサイドに現れる宿泊施設は、男女でなければちょっと入り難い、愛を求める安宿と想像する人が大半なのではないだろうか?(最近はビジホとして利用する人も増えているそうだ)

ある意味日本の特有の“ラブホテル”という文化の始まりが、何故「モテル北陸」にあるのだろうか?

ここからは解説を含めながらモテル北陸を見ていきたいと思う。

以下、憶測で書いている部分も多々ありますので、事実と異なる事もあるかと思いますがご了承ください。

日本初のワンルームワンガレージモーテル

話は1963年の開業時に遡る。

戦後の日本は自動車の普及に伴い、家族でお出かけする事が増えつつあった。

それにプラスして、翌年に控える東京オリンピックに向けて海外の利用者にも焦点を置き、日本には無かったアメリカ由来のモータリゼーションホテルを造ろう!という事で誕生したのが此方のモテル北陸なのである。

60年代にあったモダニズムな雰囲気を取り入れようとしていた事がよく分かるのが此方の正面玄関。

モテル北陸の全景

コンクリート打ちっ放しのようなシンプルな壁面に長体がかったセリフ書体で「MOTOR LOBBY」という文字が配置されている。

今でこそレトロに見えるが、未来的な印象を受けるかなりセンスの良いエントランスだ。

因みに、このハイセンスなモテル北陸は、開業主の“中嶋孝司”氏がアメリカでモーテル文化に触れた経験がキッカケで考案が始まっている。

最後の方にまた登場するので、一旦名前だけでも頭に入れておいて頂きたい。

周辺とフロント

エントランスを潜った先はフロントだったようだ。

モテル北陸のフロント

中へは後で入るとして先に裏手へ回ってみると、行く道と同様に草木に侵食されている。

植物に侵食された敷地内の写真▲足の踏み場が無い程草木に侵食されている

草木が絡みついた施設の残骸

元々はかなり広い敷地と別の建物も存在していたそうだが、この見通しの悪い景観からだとちょっと想像し難い。

ガレージと思われる場所が此方。

放棄されたガレージ内部

割と狭目に見えるので、あまり大きな車は入らなそうだ。

フロント内部

さて、先程通過したフロントより気になる室内へ入っていこう。

フロントへ入るための入り口と看板

3割くらいしか開かない扉を潜って中へ入る。

光の入る隙間が殆どない為、とことん暗い。

一階フロアの写真

酷く荒れ果てた客室の写真
フロント裏側の扉付近の写真

更に荒れ具合も相まって、何がなんやらといった感じである。

f:id:toshiharu-hirai:20171216115551j:plain▲ベッドとテレビがあるので恐らく一階の客室

此方は先程のフロント真裏。

古い機材などが放置されているフロントの裏側

下に落ちていた機材はかなり錆びついてしまっているが、よく見てみると105、106…と数字が割り振られている。

スイッチが沢山ついた機械▲よく見ると白いスイッチの上側に部屋番号が振られていた

各客室内の電光装置かなんかだろう。割と部屋数が多いな、という印象。

授業員が使っていたのかな?と微かに理解できる程度のフロント近辺。

モテル北陸と書かれたオリジナルアイテム
事務所内で見つけたそろばん

当時使われていた事務用品諸々からは、昭和の匂いを感じる。

客室とレストラン

此方は2F、客室が並ぶの廊下。

モテル北陸の二階の廊下

所々に案内看板が設置されていて、基本的にどの看板にも日本語で書かれた文字の下には、必ず英語が表記されている。

ダイニングルームへの案内看板
トイレの看板

外人観光客に向けたグローバルな視点が垣間見れる。

ダイニングルーム

客室に入る前に目に着いたのが、此方のダイニングルーム。

荒廃したダイニングルーム内の写真

広いとは言えない室内だが、お隣にあったキッチンはまぁまぁ広い様に感じられた。

窓越しからみた荒れたキッチンの様子

ダイニングルームの片隅に、レトロチックなカラーテレビが一台佇んでいる。

レストラン内に放置されていたカラーテレビ

状態良さげに残っているのはこの一台のみだが、なんとこのモーテルには、後述の全客室にカラーテレビが備えつけられていたそうだ。

カラーテレビの普及し始めたのは1963年の東京オリンピック前年、つまりはモテル北陸が創設された年近辺である。

倒されて放置されたカラーテレビ
逆さで放置されたカラーテレビ

▲別の部屋で見つけたカラーテレビ

当時では高価でなかなか手に入らなかったカラーテレビを各客室に設備するとは、この事業に対する力の入れ具合が伺える。

今でこそ、衛生面×なダイニングルーム&キッチンになってしまっているが、恐らく当時は美味しい料理が振舞われた事だろう。

バスルーム/トイレ

ダイニングルームを後にして、またしても2F廊下を歩く。

外観があまりにも草木に覆われていた為に気付かなかったが、この施設、意外と広い。

途中で見つけたバスルーム。

蔦が張ったバスルームの写真

そして洗面所。

綺麗目に残されたモテル北陸の洗面所

どうやら、各部屋にはこういった設備は無かったようだ。

ダイニングルーム然り、結構宿泊者と顔を合わせる確率が高そうなのは、現代の日本版モーテルとの違いと言えようか。

ゲストルーム

建物そのものが、植物と一体化してしまったかのような外観であるのは前述の通りだが、通路に面する各ゲストルームも蔦が張ってたり、苔むしてたりしている。

 

窓が割れ草が絡みついたゲストルーム
朽ちた天井と草木が生い茂る部屋

草の生えたベッド▲ベッドに根をはった植物

どの部屋も然程広くは無いし、とても閉鎖的な印象がする。

廃墟の客室

周りと比べれば高い位置にあるし、国道の反対側には大きめの池があるので、当時はさぞ良い眺めだったのだろうが、家族連れで来ると思うと少し窮屈に思える。

廊下両サイドの突き当たりには、アメリカンな外装に似つかわしくない和室。

荒れた和式のゲストルーム

こちらは広めの客室。

312号室

先ほどの和室は(確か)215号室で、そのお隣にあった312号室。

312号室の扉

和室を除いて2Fは3〇〇号室で統一されているので、その点で言えば一番奥の部屋ということになる。

特筆して書くような場所でも無いのかもしれないが、他の部屋とはちょっと様子が違う。

ドアを開くと直ぐに物置みたいな小部屋を挟む。

更にもう一つドアを抜けると、細長い廊下へ出た。

モテル北陸の312号室につながる廊下

そんなに長い距離でも無いのだけど、進む事数メートル。

数ヶ月前に積もったと思われる落ち葉を踏みしめた先には、これまで以上に自然と一体化してしまった312号室を発見した。

完全に自然と一体化してしまったゲストルーム

312号室を正面から見た写真
反対側からみた312号室の景観

この場所が客室だったとは俄かに信じ難いが、ベッドや内線電話も、そのままと言う訳ではないが残っている。

苔が生えてしまったベッドの残骸

階段を降りるとガレージ。

階段を降りた先にあったガレージの写真

他の客室と違い、かなり独立した印象の312号室であった。

後に知った事だが、モテル北陸の敷地内には6ヶ国をイメージしたユーモラスな“離れ”がいくつか存在していたそうだ。

和室やこの312号室も、バリエーション豊かなモテル北陸の"売り"の一つだったのかもしれない。

連れ込み宿として

現存するモテル北陸を紹介した所で、何故このモーテルがラブホテルの基盤になったか?

起承転結で言う“転”の部分について書いていこう。

廃墟探索をしていた内で、モテル北陸が「ちょっとだけ贅沢な憩いの場」を目指していたのは何となく想像できる。

ターゲットは家族連れ、走り疲れたドライバーさん、それに加えて海外からの旅行者だ。

しかし、蓋を開けてみると、その利用者の殆どはカップルだったのである。

恐らくは、フラット(24h営業)で閉鎖的(プライバシー遵守)なシステムと自宅では味わえない特別感が恋人達を引き寄せたのだろう。

また、当時は徒歩で駅前の連れ込み宿(当時のラブホテルのような所)へ行くのが当たり前だったのに対し、モテル北陸は車で行けるというポイントがかなりうけたそうだ。

かくして本来の目的とは逸れ、新型の“連れ込み宿”として使われたモテル北陸。

その誤算は吉と出るのか凶と出るのか?

「モテル北陸」から全国へ

北陸新幹線の開通により石川県へのアクセス(特に金沢)が良くなったとは言え、それでも車で行くにはちょっと億劫に思える。それも50年前と考えれば尚更だ。

そんなバイアスが掛かってしまっていた為、石川県加賀市にあったモテル北陸が、全国に点在する日本式モーテルの雛形とは思えなかった。

しかし、調べているうちに合点がいった。

このモテル北陸の新型連れ込み宿システムを全国へと広めたのは、創業者の中嶋孝司氏の経営対する嗅覚にあったのだ。

予想していたターゲット層とは別で、カップルばかりが集まってきてしまったモテル北陸。

もしも、そんな噂が地元全体に広まってしまえば、金を落としてくれそうな家族層はやってこないのではなかろうか?

しかし、タダでは転ばないのが中嶋氏。

モテル北陸オープンの5年後、1968年に神奈川県横浜市保土ケ谷は横浜新道今井インター近くに「モテル京浜」(現:ニュー京浜)なる、ターゲットをカップルに絞った新たなるモーテルを開業する。

モテル北陸は後に倒産してしまうが、その反省点とノウハウを生かしまくったモテル京浜は、横浜の恋人達を虜にし大繁盛。

それに感化された経営主達は、似たような条件の似たような物件を建てまくり、ワンルームワンガレージのモーテルや、高速道路を走っていると急に現れるラブホテル群が各地で爆発的に増加したのである。

かくして、中嶋氏が持ち込んだアメリカンドリームは、思惑と違った方向で各地に子種を撒き散らし、日本のおざなりにされがちなカルチャーを生み出したのだった。

今回紹介した事はラブホテル(連れ込み宿)という物が確立される歴史の一部分に過ぎないが、モテル北陸が日本の一文化を確立するターニングポイントであった事は間違いない。

一応補足として。以前はモテル北陸の敷地内であったと思わしき場所に、一件だけ綺麗目なホテル廃墟が残されている。

廃墟と化したホテル花の写真
花の看板

こちらは「花」という名前のホテルなのだが、モテル北陸は後に"バステル北陸"と名前を変えてこの「花」がある場所に新たなモーテルを作ったという話もあるが、今回は言及しない方向にさせて頂きました。