自由研究|不思議発見体験レポート

不思議なことや、珍しいこと、物、場所を探して、考える。大人になってからやる自由研究。

産業遺産の町「足尾銅山跡地」編

    このエントリーをはてなブックマークに追加 +読者になる

f:id:toshiharu-hirai:20170331014340j:plain

全盛期は銅山の町として栄えていた栃木県の足尾町。

長年に渡る鉱毒事件の影響や銅山の産出量の減少で閉山してから既に四十数年、現在では”元”銅山の町推しの観光スポットに変わった訳だが、やはり今でも暗い影を少し残した雰囲気の町となっている。

今回は栃木県足尾町の本山エリア中心に周った「足尾銅山跡地」と「足尾銅山観光」を前後編で紹介します。

 

 

足尾町

足尾銅山の一般的な認知といえば”足尾銅山鉱毒事件”という鉱毒水を渡良瀬川に流して近辺の田畑が使えなくなったり、排煙で周辺の山が禿げ上がったり、村が壊滅したりという不名誉な話題で知られていることの方が多いはずだ。

元は江戸時代(1610年)に治部と内蔵という農民二人が備前楯山で銅脈を発見したことから始まり、明治→大正→昭和と時代に合わせて開発の方法を変化させながら日本の鉱山の歴史の中で重要な役割を果たしていた。(ピークは時は国内産出の約40%が足尾の銅だった)

しかし、昭和48年(1973年)には銅はほぼ掘りつくされてしまい閉山。全盛期は足尾町には作業員の社宅も沢山あって、まさに銅山の町としてその名を轟かせていたわけだけど、現在の町の人口は4000人を切るくらいにまで減少している。(大正時代は約38000人)

銅山が機能しなくなってから足尾町が町として生きていくためには銅山の町”だった”頃の足尾に頼らなければならないというのも現状としてあるのだろう。町を歩けば全盛期に活躍していた施設なんかも沢山残っているわけだが、長い歴史を持つが暗い歴史も併せ持つ町なので、やはりどことなく下向きな雰囲気が町並みからも伝わってくる。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014231j:plain▲足尾銅山精錬所付近の町並み

f:id:toshiharu-hirai:20170331014230j:plain▲町の街灯には足尾町の看板がついている

「足尾銅山本山精錬所」と「古河橋」

渡良瀬川沿いを歩けば足尾銅山本山精錬所(跡地)が今でも残されているが、現在も会社によって管理されている為立ち入れない、入るためのルートとなりそうな箇所は全て施錠されているし、休日にも関わらず車が数台施設内に駐車されていたりもしたので中には関係者の人がいるようだ。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014340j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014337j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014336j:plain▲三つ並ぶ硫酸貯蔵タンク

f:id:toshiharu-hirai:20170331014215j:plain▲周りと比べて綺麗な建物も

この精錬所は銅山が閉山された後も稼働していたそうで、割と最近の1987年までは海外から輸入されてきた鉱石を精錬する為に使われていたそうだ。

まさに”足尾銅山鉱毒事件”の現場とも言える場所だが、渡良瀬川の渓谷にそびえ立つ巨大な廃墟は現代の視点で見れば、いつまでもその姿を眺めていたくなってしまいそうになる程のインパクトがある。

同じ敷地内で少し離れた場所に精錬所のシンボルともいえる巨大な煙突がある。もしやこの煙突が付近の公害をもたらした煙突なのか?と思っていたが、この大煙突は大正時代に着工→完成に至ったが、いざ稼働してみるとすぐに煙が詰まってしまい、たったの二カ月で煙を吐かなくなってしまったという残念なエピソードを持つ煙突だそうだ。*1

当時稼働していた煙突は解体されて残っていないというのに、この大煙突のみが現存できているは、全く稼働できなかったおかげなのだろう。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014343j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014346j:plain

渡良瀬川を挟んでいる精錬所(本山方面)へ行く為の架け橋となっていた直利橋という木製の橋があったそうだが、明治20年に起こった大火災で焼失してしまう。そして、新しい橋に架け替える為に採用されたのがドイツの橋梁メーカー、ハーコート社のワーレントラス形式だった。(製作された部材をボルトで留めるというプラモデルみたいな作り方)*2

f:id:toshiharu-hirai:20170331014332j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014331j:plain▲鉄柱の継ぎ目にボルトが見える

国内鉱山初の道路鉄橋となったこの橋は当時の経営者”古河市兵衛”から取って「古河橋」と名付けられ、現在は足尾初にして唯一の重要文化財として現在も残されている。

「本山動力所」とその近辺

古河橋から本山方面に渡り舗装された山道を歩くと古い電柱が立ち並んでいて、それを辿って行くと昔からありそうな建物がぽつぽつと続くエリアがある。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014234j:plain▲精錬所方面から続く電線

f:id:toshiharu-hirai:20170331014327j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014325j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014326j:plain

電線が集まる建物の中は、遠目から見た感じだと使用されていた当時と内装も変わっていないようだし、使用されていた機材なんかもそのまま残っているように見えるが、近づいて室内を覗いてみると現在は物置のような使い方をされている建物がほとんどで、会社の備品なんかが保管されているようだ。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014319j:plain

そこから少し歩くと半壊状態の小屋のような建物がある。足尾銅山近代化産業遺産マップ*3で見てみるとここは「本山動力所」という大型のコンプレッサーが設備されている施設で、確かに室内にもそれらしい迫力のある機械が二機眠っている。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014324j:plain半分倒壊している「本山動力所」外観

f:id:toshiharu-hirai:20170331014322j:plain▲建物の隙間から見た様子

この機械はインガーソルランド社という当時は削岩機メーカー(現在は総合機械メーカー)だった会社の商品で、日本の鉱山は機械化が進む中でこの会社の商品を扱うことが多かったらしい。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014245j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014316j:plain▲同じコンプレッサーが二機ある

f:id:toshiharu-hirai:20170331014317j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014239j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014250j:plain▲Ingersoll Randのプレート

この然程広くない建物の中でこのコンプレッサーが、あのでかいロータリーっぽいものをガンガン回しながら稼働していると考えると少し怖い気もするが、さび付いてはいるが今でも綺麗に残っているのでちゃんとメンテナンスされていたという事がなんとなくわかる。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014315j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014309j:plain▲制御盤っぽいもの

f:id:toshiharu-hirai:20170331014251j:plain▲制御盤っぽいものの裏側

f:id:toshiharu-hirai:20170331014253j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014255j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014243j:plain▲コンプレッサー以外特に目立つもが無い室内

f:id:toshiharu-hirai:20170331014259j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014248j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014300j:plain

社宅跡地と植樹

足尾銅山の社宅が残っているという情報もちらほらと目にしていたので探していると、なんだかそれっぽい跡地のような場所があったが、完全に更地になってしまっている。ある物と言ったら古い壁がところどころにあるのと、更地の上に均一に植えられている植樹とこれから植樹される予定の穴ぼこだけだが、雰囲気的にここが社宅の跡地のようだ。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014355j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014351j:plain▲上の方に古い壁がある

”足尾に緑を育てる会”というNPO法人がこの近辺の山々に植樹しているらしい。関東圏内からは割とここを目指して植樹しにくる人も多いようなので、周りが植樹だらけなのも頷ける。

f:id:toshiharu-hirai:20170406182732j:plain▲恐らく山の斜面が段になっている所が全て植樹スペース

足尾銅山社宅 愛宕下という看板が出ていたので見てみると、”平成9年現在で13世帯24人が住むのみとなり”という事らしい。20年前でその状況なのだから現在はもう愛宕下の社宅は残っていないのだろう。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014350j:plain

別に深沢という所に社宅があるようなので、古河橋付近にある足尾赤倉郵便局の脇道から入って、山道の入り口となるところへ行くとまた古い壁と看板が立っていた。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014225j:plain▲ここにも古い壁

f:id:toshiharu-hirai:20170331014227j:plain

見た感じからしてこの社宅跡も取り壊されてしまったような感じだが、一応山道を登っていくと解体を目前と控えた錆びてボロボロの遊具と草だらけの公園が残っているだけだ。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014222j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014219j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014218j:plain

ここで諦めればよかったのだが、山道もまだ続いているし、なんだか山の上にまだ何かあるような気がしたので登ってはみたものの、見えるのは植樹スペースと雄大な禿山しかないのようなので諦めて下山した。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014223j:plain▲山道も続く植樹スペース

f:id:toshiharu-hirai:20170331014220j:plain▲植樹されていない禿山

廃路線と「上の平社宅跡」

めぼしい社宅の跡地の大部分は既に解体されてしまったようだが、”社宅の跡地”なんてキャッチーな施設を足尾町が残していないはずは(きっと)ない。

わたらせ渓谷線の終着駅”間藤駅”付近に精錬所まで続いていた廃路線があったので行ってみる。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014211j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014209j:plain

その近くにこれまで見た看板とは別の小さな矢印付きの看板が立っていた。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014146j:plain

誘導に沿って歩いていくと、すぐに「上の平社宅跡」があった。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014140j:plain

ろくに下調べせずに歩き回って探すスタイルがそもそもいけないのだが、あるかどうか分からない社宅跡地を探し回っていたので見つけた時の喜びは大きい。(後々調べたら割と行っている人がいた)

先程の本山動力所付近と同じく、室内は何かの物置のような使われ方をしているが、規律正しく平屋が立ち並んでいる感じがとても社宅らしい。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014142j:plain▲一戸ごとに番号が振られている

f:id:toshiharu-hirai:20170331014147j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014150j:plain▲所々隙間が空いている社宅

f:id:toshiharu-hirai:20170331014149j:plain▲中身は物置になっている

f:id:toshiharu-hirai:20170331014141j:plain▲周りの社宅とは違った建物

f:id:toshiharu-hirai:20170331014152j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014151j:plain

立ち並ぶ社宅とは違い一際かなり大き目な建物が社宅跡地の入り口付近に佇んでいる。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014156j:plain

ここも物置のような使い方をされているが、明らかに他の社宅よりも清潔な感じがする室内。どうやら上の平社宅の共同の入浴場だったようだ。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014201j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014200j:plain▲木札の注意事項

f:id:toshiharu-hirai:20170331014159j:plain▲入って右側の入浴場

f:id:toshiharu-hirai:20170331014158j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014203j:plain▲左側の入浴場

f:id:toshiharu-hirai:20170331014157j:plain▲中心にあるボイラー室

ここまでは退廃的な雰囲気で残る産業遺産を黙々と目にしてきた中で社宅のイメージと言ったら、それこそ同じように退廃的なものなのかと思っていたが、この浴場は今でも通用しそうな内装だし開放的で色合いもオシャレな感じだ。

跡地の中心には社宅の共同トイレが半分野晒しで残されている。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014155j:plain

この和式トイレがなんと染付便器。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014154j:plain

入浴施設もとても綺麗に出来ていたわけだが、こういった細かいところにも装飾がなされている所をみると、この社宅の生活は結構良い水準の中にあったのではないかと思えてくる。

通洞エリアへ

「足尾銅山観光」へ行く為、通洞エリアと言われている場所へ向かう。

こちらのエリアは割と産業遺産が密集しているようなので、折角だし足尾銅山観光の駐車場に車を停めて周辺の産業遺産を見て回ることに。

少し歩けばすぐにそれっぽい廃墟が見えて来るが、特に説明などは書いていないようなので足尾銅山産業遺産マップで確認。

半分くらい倒壊してしまっているが、赤いレンガで建てられている施設が「通洞動力所」。先程の本山動力所にあったインガーソルランドの巨大コンプレッサーがこの施設の中にもあるそうだが、見るからに危なそうなので施設内を遠目から覗いてみても何処にあるのか分からない。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014127j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014122j:plain▲完全に倒壊している部分

そこから少し歩いたところには「通洞変電所」。

f:id:toshiharu-hirai:20170406182733j:plain

大正中期から存在していた施設だそうで、向かいにあった鉱業所が取り壊されてからも使用されていたそうだ。(現在は使用されていない様子)

f:id:toshiharu-hirai:20170331014123j:plain▲向かいには通洞選鉱所がある

時間もあまりないので通洞動力所に隣接する「新梨子油力発電所」を最後に見て次へ向かう事に。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014134j:plain▲「新梨子油力発電所」の外観

f:id:toshiharu-hirai:20170331014129j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170331014130j:plain

外観は通洞動力所と比べ倒壊なども無いようなので綺麗に見えるのだが、やはり入り口は草が生い茂っている。いつから手入れされていないのだろうか?などと思いを馳せながら物置っぽい小屋の上をよく見てみると…

f:id:toshiharu-hirai:20170406185928j:plain

f:id:toshiharu-hirai:20170406185929p:plain

子ザルが遊んでいた!

こちらの様子を伺いつつも逃げる様子のないサル。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014131j:plain

付近を探してみると親ザルもいた。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014133j:plain

一心不乱に草の実を探していたので、山から外食しにここら辺にやってきたようだ。

食事を済ませさっさと山へ帰っていく親ザルと全力で追い掛ける子ザルの兄弟。

f:id:toshiharu-hirai:20170406185930j:plain

親ザルは草の実を貪っているだけにしか見えなかったが、親の背中を見て育つのは人も動物も変わらないのだなぁと、少し心の中にハートフルな思い出を心に宿し「足尾銅山観光」へ向かう。

f:id:toshiharu-hirai:20170331014121j:plain

後編はこちら↓

www.jiyukenkyu.ne.jp

写真・文/平井利治